(この記事の執筆者:塚田聡子)

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 ※ 画像はYahoo!映画から引用

先日、「ビリーブ 未来への大逆転」という映画を見た。1993年にアメリカ史上2人目の女性最高裁判事に任命されて以来、86歳の今も現役のルース・ベイダー・ギンズバーグ(通称「RBG」)をモデルにした実話だ。

1956年、ルースは、ハーバードのロースクールに入学する。既に結婚して子どももいた。新入生500人中、女性は9人しかおらず、女性トイレもない環境で、ルースは、教授らや同窓生から女性故の差別を受けつつ、勉学に励んだ。 夫のマーティンは同じロースクールの2年先輩だったが、当時には珍しく、家事や子育てに協力的であり、ルースを支えていた。しかし、マーティンは在学中に癌に倒れてしまう。ルースは彼の授業も代理で出席し、看病と子育てに孤軍奮闘する。 マーティンは奇跡的回復を遂げ、税法を専門とする弁護士として活躍する。他方、ルースは、ロースクールを首席で卒業しながら、女性だという理由だけでどこの法律事務所にも雇ってもらえず、大学教授となる。

1970年代になり、ルースはマーティンから、ある事件を紹介される。母親を介護している男性が、女性に認められている税制上の控除を、男性であるという理由で認められないことが差別にあたるとして提訴したが、1審で敗訴したというものであった。ルースは、マーティンとともに彼の代理人となり、勝訴する。これを出発点として、ルースは男女差別をめぐる様々な裁判に勝訴し、社会を変革していく。

今からほんの50年前、アメリカで、女性は仕事を選べず、クレジットカードさえ作れなかった。自らが受けてきた性差別に対する怒りを原動力に、社会のあり方に異議を唱え、雄々しく闘うルースは格好よく、美しい。本筋とは関係ないが、映画の中のルースのファッションも、品が良く素敵だ。夫であるマーティンも、ハンサムで優しく、ルースを献身的に支えてくれる。

個人的には、男女差別を理由に国を相手どって訴訟を起こす際に、女性ではなく男性に対する差別をあえて取り上げたことや、「男女差別」という問題を大上段にふりかざすのではなく、個別の事件における原告の具体的不利益を主張していこうとする姿勢に、戦略的な意義を感じて興味深かった。また、映画のなかで、「法は天候に左右されないが、時代の空気には左右される」というフレーズが繰り返されるが、本当にそのとおりだと思う。時代が変われば、以前は当たり前とされていた法が、すっかり時代遅れとなる。その意味で、法は生き物だ。大切なのは、みんなが幸せに暮らせる社会を作ることであり、法はその手段に過ぎない。社会が進化し、価値観が変われば、法も柔軟に変えていくことが求められる。

そう考えると、我々弁護士の仕事も、今ある法に縛られ過ぎることなく、さらに言えば、これまでの判例にとらわれ過ぎることなく、常にあるべき社会の姿を求めていくことが必要だと思った。