(この記事の執筆者:塚田聡子)
夏休みを利用して、白馬村に行ってきた。期間限定で、名古屋から白馬まで直通のワイドビュー信濃が出ている。約3時間半で白馬に到着。予約してある白馬東急ホテルへ。山小屋風の赤い屋根のホテルが、緑の木立のなかに建っている。周辺は緑に包まれ、同じような山小屋風ロッジが間をおいてぽつりぽつりと建っている。周囲に高い建物はなく、自然が守られている心地よい環境だ。
旅行から帰った後、たまたま読んでいた「都市計画~利権の構図を超えて」という本のなかに、白馬村が取り上げられていた。白馬村は、白馬三山(白馬岳、杓子岳、白馬槍ヶ岳)や五竜岳など雄大な日本アルプスに囲まれた村で、長野オリンピックの会場の1つにもなった。他のリゾート地には次々に東京の資本などが押しかけ、乱開発が進められているのに、白馬村で自然環境が守られているのには理由がある。
1974年に白馬村基本条例が制定され、バブル投棄が吹き荒れた1988年(長野オリンピックの年)には条例を改正して規制を強化。1992年には再び基本条例を改正した。そのとき、西沢泰村長は、「白馬村の産業基盤である優れた自然環境や生活環境を守り、将来にわたって産業の発展が図られることが、今を生きる我々に課せられた責任だと感じています」と述べている。自分たちの暮らす村のどこに魅力があるのか、守らなければならない価値な何なのかをきちんと見つめ、目先の利益にとらわれずにそれを守り抜いてきた自治体の見識が素晴らしいと感じた。
さて、計画では、1日目に白馬五竜の高山植物園を訪ね、2日目に栂池自然公園を散策し、3日目に八方尾根に登る予定だった。ところが、天気が崩れ始めていたので、とりあえず八方尾根に登ることを最優先することにした。到着したのはお昼頃だったが、ゴンドラとリフトを乗り継いで、八方尾根に到着。曇り空ではあったが、なんとか持ち堪えて欲しいと祈りつつ、登山道を歩き続ける。途中、パラパラと雨がちらつくこともあったが、降ったりやんだりで、なんとかゴールである八方池までたどり着けるのではないかと思われた。
ところが、あと10分で八方池というところで、突然、激しい雨に加えて雷鳴がとどろいた。途中、身を寄せるところもなく、レインコートを着込むと一目散に下り始めたが、片道1時間半で登った道は、下りでも1時間弱はかかる。雨に遮られて前は見づらいし、足下は濁流のようになっているし、雷は鳴っているしで、ほとんど泣きそう。下りは苦手で、いつもは慎重に歩を進めるのだが、このときばかりは雷怖さで、いつもの1.5倍はスピードが出た。まさに火事場の馬鹿力だ。ようやくリフト乗り場に到着したところ、全身びしょ濡れ。母に聞いたら、「こんなに雨に降られたのは初めてよ」とのこと。母は日本百名山を踏破し、今でも月に2回は山に登っている。なんで、そんな珍しい場面に付き合わされなきゃならんのだとボヤキつつ、雷で停止していたリフトの再開を待つこと1時間。体が冷え切り、そのうち歯の根が合わなくなってきた。
ホテルに戻った後は、ゆっくりと温泉につかり、母のおごりでフランス料理をいただいた。ちょっと贅沢だけど、あんなにひどい目にあったのだから許される筈。
大変だったけど忘れられない旅行になった。