(この記事の執筆者:塚田聡子)
※ 画像はYahoo!映画から引用
「禁じられた遊び」がデジタルリマスター版で上映されることになり、名演小劇場まで観に行った。1952年に撮影された白黒映画だが、少しも古さを感じなかった。学生時代に観たときには、「なんで、これが名画なの?」と不思議に思ったが、改めて見直してみると、心に感じるものがあった。
第二次世界大戦中、ナチスドイツがフランスを激しく攻撃していた頃、幼いポーレットは子犬を胸に抱き、両親とともに逃げ惑う群衆のなかにいた。空から容赦ない爆撃が降ってくるなか、逃げ出した子犬を追ってポーレットが走る。それを追いかける両親。ポーレットを抱きかかえて身を伏せるが、両親は爆撃にやられ、あっけなく死んでしまう。子犬も、ポーレットの胸のなかで息を引き取っていた。死んだ子犬を拾い上げてさまよい歩いていたところ、牛飼いの手伝いをしているミシェルという少年が通りかかる。
ミシェルはポーレットを家に連れ帰る。ポーレットは、死んだ子犬を埋葬したいと言い、子犬が寂しいから他にもたくさんお墓を作りたいという。ポーレットを喜ばすために、ミシェルは十字架を大量に盗み出し、ひよこや虫など、たくさんの生き物の死体を集め、水車小屋のなかに2人だけの秘密の墓地を作る。やがて、十字架が無くなったことが大人達にばれ、騒ぎとなるなか、ポーレットを孤児院に預けるために役人達が迎えに来る。
最後のシーン。ポーレットは修道女と一緒に駅で列車を待っている。修道女がその場を離れたとき、「ミシェル、ミシェル」と呼ぶ声が聞こえてくる。ポーレットは、ミシェルが来てくれたと思い、声のする方を振り向くが、別人だった。「ミシェル、ミシェル」と呼びながら、雑踏のなかへ消えていくポーレットの姿で映画は終わる。
この映画は、いたいけな少女が戦争で両親を失い、最後は孤児院に送られるという悲しい物語だ。少女の両親をはじめ、あっけないほど次々にひとや動物が死んでいく。幼い少女は、死の意味も分からず、昼間はあっけらかんと過ごしている。それでも、夜中になると空襲の夢に激しくうなされ、突如「ママ!」と泣き叫ぶなど、心に受けた傷は深い。無邪気な少女と「死」を対比させることによって、戦争の残酷さを描いた作品と捉えれば、これは反戦映画だ。でもそれだけではなく、小さな恋の物語でもある。
ミシェルは貧しい農家の少年だが、利発で、聖書もそらんじている。ぼろぼろのシャツと半ズボンにベレー帽を被っているが、少年らしい伸びやかさがある。一方のポーレットは、裕福な家で育ったらしく、可愛らしいワンピースを着こなし、おしゃまでコケティッシュな魅力がある。
ミシェルは、ポーレットに出会ったとき、「パパもママも死んじゃった」と聞かされるが、それについては何も言わない。ただ、「おいで。一緒に牛を探して」と言って手をつなぎ、自分の家に連れて行く。ポーレットが夜中に空襲の夢でうなされると、ベットのそばで落ち着くまで付き添ってやる。ポーレットが、子犬のためにお墓を作りたいと言うと、教会の祭壇から十字架を盗みだそうとしたり、霊柩車の飾りの十字架を外したり、夜中に墓地から十字架を何本も引き抜いてくる。盗み出した十字架を見て、ポーレットが「あまり綺麗じゃないわ」と言うと、「ちぇっ、面倒くさいんだから」とぼやきながらも、もっと綺麗な十字架を探してくる。
ポーレットが孤児院へと連れ去られるとき、ミシェルは水車小屋で十字架を次々と川に投げ捨てるが、そのなかの1つにかけられていたポーレットのロザリオをそっと外すと、水車小屋で暮らすふくろう(あだなは「村長」)の巣の中に入れ、「百年守って」と囁く。ミシェルはこのとき、ポーレットとの別れを悟りつつも、2人の思い出を大切に守りたいと願ったのだ。
この映画の随所に、「禁じられた遊び」というギター曲が繰り返し流される。ナルシス・イエペスというギターの名手が作曲したものだが、本当の曲名は「愛のロマンス」だ。なぜ、そんな題なのか、これまで不思議に思っていたけれど、この映画が小さな恋の物語でもあるととらえれば、むしろ当然なのかもしれない。